1. トップ
  2. 大正時代編トップ
  3. 大正2年 住吉の老舗料亭 蔦茂

この年に誕生した会社

住吉の老舗料亭 
蔦茂

深田良矩
深田良矩

 名古屋市内で料亭は少なくなったが、今でも続いているのが住吉町(中区栄)の蔦茂(つたも)だ。明治末年(1912)に蟹江町須成の深田家当主良矩(よしのり)は、各地の親類が銀行業を始めたことに影響されて、南伊勢町で証券・金融業を創業した。そして大正2年(1913)、八百屋町(広小路長者町の交差点の南側近辺)の老舗料理店「蔦茂」を取得し、続いて現在地の住吉町(七間町通と三蔵通の交差点)でお客さんの接遇を目的とした割烹旅館を買収した。これが〝蔦茂〟の第一歩となった。

 蔦茂旅館は妻の静江が女将を務め、順調に営業を続けた。戦時中は徴用工場三菱電機、王子製紙トップの宿泊施設としても共用された。だが昭和20年(1945)3月、名古屋大空襲によって全焼してしまった。

 昭和22年4月、良矩の子、正矩が区画整理を見越して住吉の同じ場所に黒塀の旅館を再興し、27年には和風設計の巨匠・岩城誠一郎が手掛けた本格数寄屋造りの別館を増築した。そして、正矩の妻のり子が女将を務め、これを〝料理旅館蔦茂〟として再開した。玄関には日本座敷を設けるという、当時としては画期的な建築方法の試みであった。やがて料亭の役割が多くなり、昭和32年には料亭としての新しいビルが竣工した。

 昭和61年には2代目女将のり子が逝去した。平成元年(1989)には旅館業から撤退し、料亭専業となった。現在は正矩の子の正雄氏、そして女将・旬子氏が経営している。ジェイアール名古屋タカシマヤ店では、〝板前の手作り弁当〟の販売など、手軽に料亭の味を楽しめる事業が好評である。

 蔦茂本店内には、清須越しからの井戸が3本あり、豊富な地下水が錦鯉の池、生花、料理の下ごしらえに活用され癒しを与えている。名古屋市登録地域建造物資産第100号に認定されている。

 料亭は、名古屋市中区栄3‐9‐27にある。

ページの先頭へ戻るページの先頭へ

発刊に寄せて

序文

大正元年(1912)

大正2年(1913)

エジソンがトーキー映画を公開
大正時代の名古屋財界のドンとして君臨した鈴木摠兵衛
その頃、豊田は 大正天皇御駐輩所名古屋離宮に御召出し
日本国中を席巻した〝名古屋美人〟
<この年に誕生した会社>
ゼロ戦の試作機を運んだ大西組(現・オーエヌトランス)
<この年に誕生した会社>
住吉の老舗料亭 蔦茂
<この年に誕生した会社>
レーダーの開発製造拠点として安城に疎開 メトロ電気工業

大正3年(1914)

大正4年(1915)

大正5年(1916)

大正6年(1917)

大正7年(1918)

大正8年(1919)

大正9年(1920)

大正10年(1921)

大正11年(1922)

大正12年(1923)

大正13年(1924)

大正14年(1925)

大正15年(1926)

昭和2年(1927)