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この年に誕生した会社

レーダーの開発製造拠点として安城に疎開 
メトロ電気工業

 日本は太平洋戦争においてレーダー開発で後れを取り、それが敗因の一つだと考えられている。そのレーダーの開発製造を行う拠点として、安城に工場を設立されたのがメトロ電気工業の前身だ。

 同社の歴史は、大正2年(1913)から始まる。横浜市で横浜電気工業(その後メトロ電球に改称)として設立され、電球の製造販売を開始した。アメリカ人が経営する外資系企業だった。

 だが、大正12年に関東大震災があり、工場は全壊した。肝をつぶしたアメリカ人は帰国してしまった。そこで日本人が経営者になって再建し、東京都渋谷において再出発した。

 同社は、海軍の指定工場となり、電球を製造した。軍需工場として大幅に拡張し、何カ所も工場を設けた。工場は満州にも設立された。

 その同社に、海軍からレーダー用真空管の開発が命じられた。富士電機などの資本も入り、昭和19年(1944)に社名を富士真空工業に変更した。同社は、レーダーの開発製造拠点として工場用地を物色した。候補地には豊橋や安城が挙げられたが、結局、安城が選ばれた。昭和19年1月に完成した安城工場の敷地は1万坪であった。

 このレーダー用真空管の開発には、エピソードがある。日本はドイツから技術導入するため、潜水艦を派遣した。潜水艦は5回にわたってドイツへ向かった。

 富士真空工業で勤務していた従業員の中に、永尾政實(富士通信機製造〈現・富士通〉からの出向者)という、レーダー用の高周波真空管の技術者がいた。彼は「イ52」に乗り込んだ。

 「イ52」は日本が開発した世界最先端の潜水艦で、長さ108メートル、幅9メートルという大きさだった。燃料の補給なしで3万4千キロメートル(地球の半周以上に匹敵)の航海が可能だった。

 「イ52」は昭和19年3月に呉を出航し、乗組員112人と2トンの金塊を乗せて、ドイツ領フランスのロリアン軍港を目指した。だが、途中でアメリカの攻撃を受けて沈没した。

 永尾政實は、当時29歳だったという。アメリカは、乗組員名簿まで入手していたようで、永尾はレーダーの専門家としてアメリカ側に知られていた。

 ちなみに、この「イ52」は戦後に発見された。5千メートルの海底に眠っていた。

 この失敗もあって実際にはレーダー用の高周波真空管の開発は成功しなかったが、安城の工場は電球を製造した。

 戦後は、渋谷の本社工場を空襲で失い、満州の工場も失ったので、愛知工場だけが残った。しかし、主力納入先の軍が無くなったので、富士真空工業は倒産した。

 その後、富士真空工業の建物や設備を引き継ぎ、元役員や従業員が集まり、昭和26年にメトロ電気工業を設立し、再建を果たした。これが現在の会社である。

 ?昭和30年代になると「赤外線やぐらこたつ」が登場し、家電メーカーはこぞって発売した。同社は家電メーカーに赤外線電球を納品することに成功し、経営基盤を築いた。この赤外線やぐらこたつは、その後家具調こたつの登場により、家具メーカーが参入して市場を握った。同社はその家具会社とも取引し、熱源メーカーの強みを生かし、電気こたつ用のヒーターをユニットで納品するようになった。現在は「電気こたつ用のヒーター」で国内シェア8割を占めるまでになっている。

 また、このほかには、足下に置くフットヒーター、管球製造技術で開発したカーボンヒーター管やその高出力を利用した金型加熱器など、いろいろな商品があり、自社ブランドでも販売している。愛知県からは愛知ブランドとして認定されている。

 現在も本社工場は安城にあり、堅実経営を貫いている。社長の川合誠治氏は「特殊白熱電球というニッチな得意分野に特化してきた。拡大政策を採らずにコツコツと経営してきたのが生き残った理由」「ハイテクというのは、先行投資の連続だから採算が厳しいことが多い。白熱電球はエジソン以来の技術で、言ってみればローテクだが、いたずらにハイテクを追わなかったことも生き残った理由の一つだ」と語っている。

 本社所在地は、愛知県安城市横山町寺田11‐1である。

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発刊に寄せて

序文

大正元年(1912)

大正2年(1913)

エジソンがトーキー映画を公開
大正時代の名古屋財界のドンとして君臨した鈴木摠兵衛
その頃、豊田は 大正天皇御駐輩所名古屋離宮に御召出し
日本国中を席巻した〝名古屋美人〟
<この年に誕生した会社>
ゼロ戦の試作機を運んだ大西組(現・オーエヌトランス)
<この年に誕生した会社>
住吉の老舗料亭 蔦茂
<この年に誕生した会社>
レーダーの開発製造拠点として安城に疎開 メトロ電気工業

大正3年(1914)

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大正6年(1917)

大正7年(1918)

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大正10年(1921)

大正11年(1922)

大正12年(1923)

大正13年(1924)

大正14年(1925)

大正15年(1926)

昭和2年(1927)