日清戦争は、結果として日本の大勝に終わるが、戦争前は大国清に日本が勝てると思っていた向きは少なかった。軍の幹部の中でも、勝てる確信がなかったようだ。
日本経済は、明治25年(1892)には濃尾地震の復旧工事もあって景気が回復したが、26年になると、再び不景気に陥った。明治27年8月の日清戦争の勃発により、一部の部門は好況を呈したものの、2億円という戦費調達が経済界に打撃を与えた。
そんな状況だったので、名古屋商人の間でも、戦争の行方を不安視する向きが多く、重苦しい雰囲気に包まれた。それは名古屋株式取引所の株価の推移をみるとよく分かる。
その株式取引は、明治27年は、前半において、金融の繁忙・金利の上昇から市況は低調をたどった。6月の韓国の内乱も響いた。そして後半になると、清国への宣戦布告をしたものの、日本に勝算があるのか疑問視する向きが多く、見送り気分を深め、閑散低調となった。〔参考文献『名古屋証券取引所三十年史』〕
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