日本が日清戦争で得た賠償金は、3億6千万円になった。これは当時の国家予算の3倍に匹敵する金額だった。政府は、この賠償金をもとに更なる軍備拡張に着手した。
国民の犠牲のうえに成り立った、狂気に満ちた軍拡だったが、仮想敵国ロシアに対する恐怖心から、国民も耐えるほかないのが現実だった。
日本政府の総支出の中で、軍事費が占める比率をみると分かりやすい。明治29年(1896)43%、30年50%、31年51%、32年45%、33年45%、34年38%という感じで、まさに軍事費で押し潰されそうだった。
明治29年から建艦10カ年計画を実施した。海軍における軍備拡張を推進したのが山本権兵衛だった。明治29年から38年にわたる10カ年で、すでに保有する戦艦2隻(富士・八島)に加え、新鋭の戦艦4隻(朝日・敷島・初瀬・三笠)の計6隻を外国に発注した。それに装甲巡洋艦6隻、二等巡洋艦3隻などを揃えるという壮大な計画だった。
この計画は、対ロシア情勢の緊迫化とともに、早められて明治35年には大艦隊がほぼ勢揃いできた。
日本は清国との戦争に勝った。経済界は、戦後の好景気に沸いた。だが、来るべきロシアとの戦争に備えて、本格的な軍拡競争に引きずり込まれてしまうことになった。建艦10カ年計画は、国民に大きな犠牲を強いた。
この頃、名古屋の一般市民の暮らしはいかばかりだったのだろうか? 著者は名古屋市が出している統計を探してみた。『名古屋市百年の年輪(長期統計データ)』(平成元年刊)があったので、そのデータをチェックした。
関心があったのは、米価と給与の推移だった。米価が上がれば当然暮らしが厳しくなる。米価が上がったのに給与が下がってしまったら生活は脅かされる。
米価は、色々なデータが載っていた。「玄米 尾張 1石(150キログラム)」という欄があり、そこに上中下に分かれたデータが載っていた。著者は「中」を選んで、その数字を辿ってみた。このデータには「原資料には、流通のどの段階での価格かは不明」という、ただし書きが載っていた。このデータからわかることは、米価の相場の乱高下だ。自由相場であったために、作柄に影響されてしまう。東北あたりで凶作になった年は尚更だ。
また、給与は職種ごとに載っていたが、その中に「大工の日当」があった。日当であるので、1日あたりの給与(単位は円)である。
データをみて感じたのは、好景気になっても一般庶民に恩恵が回ることはない、ということだ。明治29年(1896)は、日清戦争が終わって好景気になったが、給与はわずかに上がっただけであった。明治39年は日露戦争後の大好景気だったが、給与はわずかも上がらなかった。
米価と給与を長期比較してみよう。米価は、明治24年が6・79円で、明治39年が14・49円だから2・13倍になっている。それに対して、給与は0・37円から0・55になったから1・49倍になっている。つまり米価が上がった割には給与が上がらなかったのだ。そのうえ、軍拡に伴う大増税が行われたのだから、庶民は辛抱のうえにも辛抱を強いられた。
前半は、日清戦争の勝利による我が国経済の拡大発展を反映して、市場は空前の活況を呈した。後半は、東北地方の津波による被害、大阪における銀行の破綻等から反動的に不振となった。
子規はこの頃、病状が悪化して床に就くようになった。真之はアメリカに行く前に子規の見舞いに行った。子規はすっかり病んでいた。子規の体力のことも気にして、真之は早々に切り上げて退室した。
子規はその後、新聞「日本」に「秋山真之ノ米国ニユクヲ送ル」という詞書のもとに「君を送りて思ふことあり蚊帳に泣く」という俳句を載せた。
佐吉が8年を費やして小巾動力織機を完成させたのは明治29年(1896)だった。この発明は動力織機の始祖だった。
この発明は、戦後における我が国の財政救済の一助にもなった。
日清戦争後の日本は、戦争には勝ったものの、財政面での疲弊は甚だしかった。軍部が満州で発行した軍票をどうやって整理するべきかが、重大な問題だった。対中国向けの輸出を振興して、その資金で軍票を回収するべきだという意見が多かった。特に綿布を満州に向けて輸出するべきだとわれた。
明治28年4月に日清講和条約が調印された。これにより清国は日本に対して、さらに多くの港を開き、日本郵船のために揚子江沿岸の航行権を認めた。台湾の割譲を受け、朝鮮が清国の支配を脱して独立国にもなった。これらのことは、綿糸の輸出のうえで、非常に有利な条件となった。
だが、問題は立ち遅れた産業だった。当時の日本の手織ハタでは到底大量生産ができなかったからだ。
そんな折に佐吉の動力織機が三井物産によって見出されたのである。かくして、佐吉の動力織機は、満州木綿の大量生産に重要な役割を果たすようになった。
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