第3部 江戸時代中期の部/その6、上杉鷹山 財政再建に成功

その時、名古屋商人は

この頃創業した会社・イチビキ

初代社長の慶蔵氏が造り、今なお使われている味噌蔵初代社長の慶蔵氏が造り、今なお使われている味噌蔵

 イチビキ株式会社の前身・大津屋の創始者である中村家の歴史は古い。先祖は、戦国武将の今川氏に服属していた大名西郷氏に従っていた、和田城主の中村掃部助まで遡る。この掃部助の子孫で「藤ケ池中村」と呼ばれた分家・宗右衛門が実質上の始祖である。

 この中村家が味噌や溜とかかわるのが二代目庄左衛門の時であった。庄左衛門は男子がなかったので養子を迎えたが、その持参金が味噌・溜の“醸造株”だった。“株”というのは、藩から認められた酒造許可のようなもので、大変価値があった。そして中村弥十郎の代になり、安永元年(1772)から味噌・溜の醸造業を始めた。これがイチビキの創業である。

明治時代に新しい醸造法の開発に成功した中村慶蔵氏明治時代に新しい醸造法の開発に
成功した中村慶蔵氏
『イチビキ七十年のあゆみ』より

 イチビキの発展の功労者は、八代目中村慶蔵だ。慶蔵は安政2年(1855)に豊川市の御油で生まれた。慶蔵は醸造法の研究に打ち込んだ。当時の醸造法は昔ながらのやり方だったが、慶蔵は旨さを求めてまったく発想を変えた挑戦をした。その努力が実を結び画期的な醸造法を開発し、特許を取得した。実に15年という歳月がかかった。

 慶蔵は経営者としても卓越していて、明治時代に本格的な工場を建設し、会社の基盤を築いた。明治44年(1911)には、おいしさと合理性の追求による「丈三桶」(直径、高さとも約4メートルの仕込み桶)を発明。正に創意と工夫の結晶であった。丈三桶は現在も大切に活用されてる。大正8年(1919)、慶蔵は大津屋株式会社を設立し、初代社長になった。会社の設立にあたって、慶蔵は「うまくて安い大津屋の味噌、溜」という当初からのポリシーを理念として貫いていった。

 イチビキの商標は、明治末から大正時代にかけて北海道で行っていた大豆の買い付けから生まれたと言われている。当時は大豆の品質を調べるために「サシ」と呼ばれる鉄の半円筒を俵に刺して、中の大豆を取り出し良品だけに荷印を打って粗悪品と区別していた。大津屋の荷印は「スッキリ引いた一本棒」のため「一引き」と呼ばれるようになった。これが現在の社名、商標の基となった。

 慶蔵の理念は、後の代になっても引き継がれた。戦後は物資不足の時代で、味噌製造者は大豆不足をサツマイモで補う製造を余儀なくされていたが、イチビキは品質にこだわり、あくまで大豆の比率を高め、品質の維持に努めた。それは慶蔵の理念を大事に守ってきたからだ。その姿勢がその後の信用につながった。昭和36年(1961)には、社名をイチビキ株式会社に変更した。

 近年、食生活の変化に伴い味噌の消費量は減ってきており、醤油も同様に漸減傾向である。そんな環境の中でも、イチビキは190億円余を売り上げ、実に過去20年以上も増収を達成している。増収を達成できた要因は、商品開発力だ。醤油とか味噌のイメージが強いが、売上高の構成は、醤油が3割、味噌が2割で、残りの半分はめんつゆ、鍋つゆ、赤飯の素など多彩な商品で占められている。醤油や味噌をベースにした商品開発を推進した成果だ。商品アイテム数は900個近くに及ぶ。従業員数は正社員およびパートタイマーで合計約600人。

 イチビキは平成22年(2010)1月、御油の工場に「味噌の館」を開設した。味噌作りを自分で体験し、それを3カ月後に食することができる。食育のための施設だ。「子供達に味噌作りを通じて、味噌の良さを体感してほしい」という。日本が誇る醸造食品「味噌」の良さを子供達に伝えようとしているのである。

 本社は、名古屋市熱田区新尾頭1‐11‐6。

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