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  3. 大正5年 ロングセラーの「あべっ子ラムネ」 安部製菓

この年に誕生した会社

ロングセラーの「あべっ子ラムネ」 
安部製菓

 「あべっ子ラムネ」の安部製菓といえば、子供の頃よく食べた人が多いと思うが、最近でもラジオでCMを流しているので、その社名を耳にすることがあるだろう。

 その安部製菓は、安部篤二が創業者だ。篤二は明治26年(1893)、岐阜県養老郡池辺村で生まれた。尋常高等小学校を卒業し、東京の田中貴金属店に入店して商売を覚えた。そして名古屋に移り、親戚でもあった名古屋市西区新道町の吉松商店で修業して、製菓業を学んだ。

 篤二は大正5年(1916)、名古屋市西区北駅町8番地の小さな長屋の一軒を借り、菓子屋として独立した。当時は市電が走っており、現在の浅間町の交差点の西側に駅があり、その近辺を北駅町といった。創業当時はヨーチビスケット、金平糖、掛物豆菓子などを作った。

 篤二は商売が上手で、すぐ軌道に乗せた。大正14年には、西区南押切町五丁目で店舗および工場を新築した。ここが現在の本社工場である。


右から1人目は安部そよ(篤二の妻)、2人目は篤二。左から1人目は正男、
2人目は照子(正男の妻)

 昭和時代に入ると、金融恐慌のあおりを受けて、昭和7年(1932)に名古屋最大規模だった明治銀行が倒産し、篤二は預金を失った。だが、篤二は持ち前のど根性で逆境を乗り切り、事業を伸ばした。昭和19年には合資会社にした。

 二代目となるのは、篤二の次男の正男だ。正男は大正10年生まれ。昭和14年に東邦商業学校を卒業すると同時に、安部商店に勤務した。だが、日本は戦時色に包まれるようになった。

 正男は昭和16年、中部第二部隊に入営した。スマトラ、ラバウルなどを転戦し、病に侵され死線をさまよった。「夢も希望もなく、ただ無気力に体を横たえ、連日熱にうなされ、死を待つばかりの私の耳に『日本が戦争に負け、無条件降伏をしたらしいぞ』と伝えられた」という。あと1カ月終戦が遅れていれば、命は確実に無くなっていた。そして昭和21年5月7日に名古屋港に上陸して復員した。

 安部製菓は空襲時の焼夷弾で、風呂場の戸が黒焦げになり、工場の屋根にも直径30センチほどの穴が開いたが、両方とも大事に至らず自然に消え、幸運にも焼失を免れた。篤二は、敗戦とその後の復興を予期して、米をはじめ小麦粉、砂糖、水飴、植物油、香料から包装資材まで、大量に備蓄していた。

 戦後は、世代交代期を迎えて、昭和37年に篤二が会長に、正男が社長になった。篤二は会長になってからも、毎日事務所で正男の仕事ぶりを見守った。篤二が口癖のように言っていたのは「恩を忘れる者は絶対に成功しない」「菓子屋と腫れ物(おでき)は大きくなると潰れる」だった。

 正男は、先代の血を引き継いで商品開発の才能があった。画期的だったのは、ラムネ菓子の開発だった。アメリカに視察に行った時に、ラムネ菓子を初めて見た。だが、硬くて口の中で溶けにくかった。正男は、ブドウ糖を使うことで、口の中でスッと溶けるラムネ菓子の開発を思い立った。

 正男は、試行錯誤を繰り返した末、昭和42年に日本で初めて、ブドウ糖を主原料にしたラムネ菓子の開発に成功した。この商品がロングセラーになり、現在も屋台骨になっている。

 現在は正男の次男である彰二氏が社長になっている。岡崎のカクキューの八丁味噌とごまを練りこんだ「味噌キャラメル」など、他社とのコラボにより生み出した新商品が多い。商品開発の才能は、脈々と受け継がれている。

 本社所在地は、名古屋市西区則武新町2‐2‐19である。

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発刊に寄せて

序文

大正元年(1912)

大正2年(1913)

大正3年(1914)

大正4年(1915)

大正5年(1916)

吉野作造が名古屋で民本主義を説く
その頃、日本は 好景気で狂乱物価
その頃、名古屋は 大戦のおかげで重工業が勃興
その頃、日本は 工場法が施行され不十分ながら労働者保護へ
<この年に誕生した会社>
ピンチを一致団結して乗り切る
クサカ
<この年に誕生した会社>
「もったない」精神をビジネスに エス・エヌ・テー
<この年に誕生した会社>
ロングセラーの「あべっ子ラムネ」 安部製菓
<この年に誕生した会社>
「土木は世の中を良くする仕事」の信念を貫く 朝日工業
<この年に誕生した会社>
自己変革に挑む地場の繊維産業
茶久染色
<この年に誕生した会社>
「長生き健康法」で企業を永続
妙香園

大正6年(1917)

大正7年(1918)

大正8年(1919)

大正9年(1920)

大正10年(1921)

大正11年(1922)

大正12年(1923)

大正13年(1924)

大正14年(1925)

大正15年(1926)

昭和2年(1927)