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第1部 幕末の部

嘉永6年(1853)
その3、安政の大獄
――その時名古屋は・・・三河湾・伊勢湾が津波に襲われる

安政の大地震

◆駿河湾沖でマグニチュード8.4

吉原地震焼亡之図吉原地震焼亡之図(国立国会図書館蔵)
被害の様子が描かれ瓦版で伝えられた

 嘉永7年(1854)1月16日、ペリーが再び来航した。幕府はアメリカの開国要求を受け入れ、日米和親条約が締結された。この黒船騒動がひと段落したのも束の間、今度は地震が日本を襲った。

 同年11月4日に起きた大地震の震源地は、遠州灘から御前崎沖だと推定されており、愛知県のいわば真正面で起きた。マグニチュード8.4。この地震の発生後、房総半島から四国にかけて津波が襲い、特に伊豆から熊野にかけて大きな被害をもたらした。

 津波は、三河湾や伊勢湾内にも達した。伊勢湾沿岸や河川の流域では、家屋の倒壊が目立った。尾張藩の調査によれば、全壊1194軒、半壊1537軒に達した。特に大代官、鳴海、横須賀、佐屋の四代官管内で被害が大きかった。この地震の余震は、翌年の7月まで続いた。後世では「安政東海地震」と呼ばれることになった。

◆紀伊半島沖でマグニチュード8.4

 大地震は1回だけではなかった。2回目は、この地震の32時間後に紀伊半島沖で起きた。マグニチュード8.4と推定される。紀伊・土佐などで津波により大きな被害(紀伊の串本で最大波高11メートル)が出た。大阪湾に注ぐ幾つかの川が逆流した。後世では「安政南海地震」と呼ばれることになった。

 読者は「安政」という幕末の年号の由来をご存知だろうか? それはこの地震だった。この両地震が契機になって、朝廷は元号を嘉永から安政に改めた。まるで幕府の願いがこもったような名前だった。しかし、そんな改名ぐらいでは鯰(なまず)は黙ってくれなかった。

◆江戸でマグニチュード6.9

 2度あることは3度あるというが、3回目は安政2年(1855)10月2日、江戸で起きた。マグニチュード6.9だった。江戸城の石垣が崩壊し、本所や深川など下町を中心に死傷者が出た。倒壊家屋約1万戸など大きな被害があった。

 この3つの地震を、後世では「安政三大地震」と呼ぶようになった。3つの地震で、全国で少なくとも2600人が犠牲になった。津波による流出家屋は1万7000軒を超えた。余震とみられる地震は9年間で3000回近くに及んだ。安政という時代は、いつ大地震に襲われるかもわからないという、まさに恐怖の連続だった。[参考文献『新修名古屋市史』(名古屋市市政資料館)]

コラム
愛知を襲った巨大地震の歴史

 愛知県を襲った巨大な地震は、有史以来5回発生している。そして、巨大地震の後には再度大きな地震が起きている。5回発生した巨大地震のうち4回は、その直後から2年以内に巨大地震が起きている。

  1. 「東海東山道地震」は天正13年(1586)に発生、その19年後の慶長9年(1605)に「慶長地震」(東海・東南海・南海地震が同時発生、死者5千人以上)が発生。
  2. 「元禄地震」は元禄16年(1703)に発生、その4年後の宝永4年(1707)に「宝永地震」(東海・東南海・南海地震が同時発生、死者2万人以上)が発生。
  3. 「安政東海地震」は安政元年(1854)に発生、その32時間後に「安政南海地震」が発生。
  4. 「東南海地震」は昭和19年(1944)に発生、その2年後の昭和21年に「昭和南海地震」が発生。

 このように、東海道で巨大地震が発生すると、同時又は短時間後に南海道でも巨大地震が発生するというメカニズムがあることが分かっている。[参考サイト「防災システム研究所ホームページ」]

その時、名古屋商人は

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第1部 幕末の部

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第3部 江戸時代中期の部

第4部 江戸時代後期の部

第5部 特別インタビュー