この明治31年(1898)は、名古屋に電話が開通した。
東京は明治23年に開通していた。大阪でも26年に開通していた。名古屋での開通が遅れたのは、自転車の普及が早かったので、電話は贅沢品だという意見があったからだという。
明治時代は、自転車がまだ貴重品だった。名古屋市内で登録されていた台数は、明治40年の時点で、2400台だった。
しかし、実際に電話の申し込みを始めたところ、応募者が殺到した。受付日の前夜9時から応募者が並び始め、先を争ってトラブルが起こりかねない雰囲気に陥った。そこで巡査や憲兵隊まで出動して、整理にあたったという。
郵便局と電信局が一緒になった名古屋郵便電信局は、明治31年に新柳町5丁目(現・中区錦2‐17。NTTデータ伏見ビル近辺、広小路沿い)で建てられた。
この年は、名古屋を路面電車が走った。名古屋電気鉄道(愛知馬車鉄道から社名変更)が、笹島から愛知県庁前まで、電車を走らせた。
「愛知県庁」といっても現在地ではない。当時の愛知県庁は、栄町6丁目(現・中区新栄町2‐1)にあり、現在は栄第一生命ビル・ノリタケビル・NTT栄ビル西館等が建っている。現・中区役所は「名古屋市役所」だった。
つまり、この路面電車は、笹島から広小路を通り、新栄まで走っていたのである。
Copyright(c) 2013 (株)北見式賃金研究所/社会保険労務士法人北見事務所 All Rights Reserved
〒452-0805 愛知県名古屋市西区市場木町478番地
TEL 052-505-6237 FAX 052-505-6274