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第3部 明治後期/1912(明治45年)

その時、名古屋商人は

愛知銀行が大金を詐取される

 詐欺は、三井物産名古屋支店の会計係と、藤本ビルブローカー名古屋支店の社員とが共謀して行った。三井物産名古屋支店名義の約束手形を偽造して、愛知銀行や十六銀行から総額75万円を詐取した。

 事件の結末も劇的だった。悪事が露見して、警察の手が伸びると、藤本ビルブローカー名古屋支店の社員は、かねてから馴染みだった愛妓を連れて大阪へ逃げた。旅館で心中しようとしたが、女が肯じなかったので、無理心中をした。もう1人の三井物産名古屋支店の会計係は、単独で郷里の山陰に逃げたが、間もなく逮捕された。

 新聞は「75万円事件」と称して大々的に報道した。当時の名古屋新聞の記者は『七十五万円事件』と題して出版して、版を重ねた。また、劇化されて新守座で上映された。
なお、新守座は、本重町4丁目(現・中区錦2‐15)にあった。そこは現在、りそな銀行名古屋支店になっている。

児玉一造
児玉一造『児玉一造傅』より

 三井物産は、事件解決のため、名古屋支店長を入れ替えた。新支店長は児玉一造といった。事件は、三井物産が賠償金を銀行に払う形で決着した。

 なお、この時に名古屋支店長になった児玉一造は、三井グループの逸材だった。児玉一造は後年、東洋棉花株式會社を設立し、上海租界で莫大な利益を上げた。

 児玉は、名古屋においても、大きな足跡を残した。児玉は、佐吉の紡績業進出も援助した。そのおかげで佐吉は巨富を得ることになる。児玉一造の実弟の児玉利三郎は、佐吉の長女愛子の婿養子(豊田利三郎)となり、後にトヨタ自動車工業株式会社の初代社長に就任した。

 児玉の親戚が石田退三で、退三は児玉の口利きで豊田紡織に40歳過ぎてから入社した。

 また、児玉の設立した総合商社トーメンは、かつて東証1部上場の企業になったが、豊田通商と合併し消滅した。

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序文

第1部 明治前期

第2部 日清・日露戦争時代

第3部 明治後期

明治39年 戦後の好景気、株式ブームへ
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 山田商会
明治40年 株価暴落
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 ノダキ
この年に創業 ハナノキ
この年に創業 渡邊工務店
この年に創業 江口巌商店
明治41年 アメリカで「T型フォード」が発売
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 安井ミシン商会(現・ブラザー工業)
この年に創業 ヨモギヤ楽器
この年に創業 星野楽器
この年に創業 丹羽幸
明治42年 アメリカで排日運動
その時、名古屋商人は・・・
明治名古屋を彩る どえりゃー商人 福澤桃介
この年に創業 松屋コーヒー
この年に創業 タケヒロ
明治43年 石川啄木『一握の砂』刊行
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 キベ
この年に創業 井上
この年に創業 OMC
明治44年 関税自主権回復
その時、名古屋商人は・・・
この年に創業 大竹製作所
明治45年 明治天皇崩御

第4部 「旧町名」を語りながら